所有物にはどう向き合えば良いだろうか?

コレクターのようにひたすらモノが増えていく。そのモノは自分の人生を豊かにするわけではないのに、もう手に入らないから手放せないもの、高かったから手放せないもの、ひたすらモノが増えていく。人は何のためにモノを所有するのだろうか。所有物は自分に何を与えてくれるのだろうか?

モノを増やさないためにはどうすれば良いだろうか?

そもそもモノを増やす行為は悪か?という問いから考えてみたいと思います。

ミニマリストではなくシンプリストを目指す

誰が言ったかシンプリストという言葉があるようだ。

気に入った “モノ” だけを使い続けて記憶をリンクさせる

高峰秀子さんという戦前戦後に活躍した大女優がいました。彼女は30歳で結婚した後は仕事を減らし、人生の後半は随筆家として自分らしく生きたようです。必然的に生活はどんどん簡素になっていき、豪華なものに囲まれた昭和の映画スターとは対極の生活を送られました。このとき高嶺さんは「自分の家には自分が気に入らないものは一つも置いていない。気に入ったものだけを使い続ける。そのものについての記憶が蓄積して、それが自分にとっての価値になる。」と述べていたといいます。これは “モノに愛着が湧くとは何か?” を考えていた私には目からウロコの回答でした。

良い記憶も悪い記憶もモノにリンクさせて、自分の生きた証をモノから取り出せるようにしておくイメージです。安いものを使い回すよりも、少し高くても愛着の湧くものを使い続けてモノに思い出を蓄積させる。こう考えることができれば余計なモノを買って後悔することも少なくなるかもしれません。

例えば我が家ではダイニングテーブルを思い切って三越家具のオーダー品を購入しました。無垢材なので高価ですが、一方で、修理をしながら長く使い続けることができます。いくつかの傷も「子どもがあのときに付けた傷だ」と記憶とリンクしており、家具に家族との時間が宿っている気がします。当然、買い替えの予定はありません。