物事の考え方を考える

仕事だけでなくプライベートでも人間は “考える” という行為を必要とします。より風呂敷を広げると、考えるという行為が人間を人間たらしめているのであり、人間が生きるために必要な能力と言えます。哲学者であり物理学者でもあるパスカルは「人間は考える葦である」と述べました。葦(あし)というのは水辺に育つ、弱く細い植物のことです。パスカルは著書パンセの中で「人間は自然の中では葦のように弱い存在である。しかし、人間は頭を使って考えることができる。考える能力こそ人間に与えられた偉大な力である。」と述べています。

ただ、多くの人は特別に「考える」とは意識せずに、無意識的に行っています。これは “考える” という能力が既に身に付いており、使いこなしている証拠です。しかし呼吸と同じで、無意識の行為を意識的に行うことで、より高いパフォーマンスを発揮できるとしたら、意識的に考えることに価値があるのではないかと思います。これによって仕事とプライベートを充実させ、人生をより豊かなものにできるのではないでしょうか。この記事ではその考え方について深掘りしていきます。

物事を考えるきっかけは何だろうか

そもそも何もないところから考えるという行為は発生しません。物事を考えるきっかけになるのは何でしょうか。幼少期から現在までを振り返ってみると、以下のようなケースが思い浮かびました。

  1. 何故だろうか?という疑問が生じる
  2. 解決しなければならない問題が生じる
  3. 自分の意見をつくる・創作する

1.は主に学習過程において発生する内発的なもののように思います。幼少期の好奇心から発生する疑問が分かり易いですが、仕事や日常生活でも「この仕組み・原理はどうなっているんだろうか?」といった疑問が生じます。疑問とは、目の前の事象に対する、自身の知識・経験とのギャップによって引き起こされる初期の心理状態であると言えます。ここで言うギャップとは知識の不備だけでなく、知識との矛盾も含みます。知識の不備よりも矛盾の方がギャップが大きいため、その後の思考は深くなります。ここでの考えることによる目的は「理解すること」だと言えます。

2.は外発的な問題に対峙した際に発生するもののように思います。ご近所トラブルにどう対処するか?といった短期的に考えるものから、資産形成はどうするべきか?といった長期的に考えるもの、また技術開発においてどの方式を選定するべきか?といった複雑な意思決定を要するものまで様々です。問題発生から解決までが長く複雑になるほどシナリオプランニングが必要になると思います。ここでの考えることによる目的は「問題解決をすること」だと言えます。

3.は内発的かつ外発的なもので、特に自己との対話を必要とするもののように思います。内発的なものだと、思っていることを紙に書き出すといったジャーナリングだったり、ブログやSNSで発信するといった創作活動などです。外発的なものだと、期末試験や昇格試験で与えられた課題を解決するものです。ここでの考えることによる目的は「自分の考えをつくること」だと言えます。

1.~3.までどれも性質が異なるため、それぞれに応じた考え方を適用することが大事だと考えます。ただし共通するものもあります。それはいずれの場合でも、物事を考えるきっかけになる事象は達成するべき目的を伴うということです。逆説的ですが、目的が無ければ考えるきっかけもなく、思考も生じません。「目的もなくただ歩く」というシーンを想像すると分かるように、ここには頭を熱くするような思考は生じません。1

夏季休暇中に友人たちと数十年振りに将棋を指したのですが、脳の普段使っていない部分が刺激される感覚がありました。この場合はこう、この場合はこう、といった場合分けを頭の中でひたすら展開していく、まさしく考える作業です。実生活ではよほど単純化して物事を考えていたんだなと振り返るきっかけになりました。

目的を達成するための見通しを立てる(問いを立てる)

問いを立てる

  • 物事を考える際には問いを立てることがセットになる。「問い」が必ず必要になる。問うことによって、初めて思考を巡らせることができる。そして、その思考の質は問いの質によって決まる。

疑問を解決するための問いの立て方

1.は答えをすぐ見るのではなく推測する。すぐ調べれば良いじゃないか聞けばよいじゃないかというのは違う。そして答えを見ると知識の不備とのギャップが知識(仮説)の矛盾とのギャップになりより深い思考が展開される。知識を修正するために。

以上です。


  1. 目的もなくただ歩く、という行為は自分が大好きな営みの1つです。そこに思考が介在しないことに意味があります。メンタルに関する記事で記載したいと思います。 ↩︎